記憶に新しい2021年夏、2度目の東京オリンピック。その57年前の1964年10月。高度経済成長を間近に控えたこの時期に、戦後復興の象徴として日本で最初のオリンピックが開催された。柔道、体操、レスリング、次々とメダルを獲得していく日本人の姿を見て、国民たちは熱狂した。
なかでも、圧倒的な実力を見せたのが女子バレーボール代表だった。インパール作戦帰りの「鬼の大松」監督によるスパルタ指導によって頭角を現し、世界から「東洋の魔女」と恐れられた日本代表チームは、圧倒的な強さで勝ち進み、決勝で最大のライバル・ソ連代表と相まみえた。彼女たちは秘密兵器「回転レシーブ」を武器に、圧倒的な体格を誇るソ連代表を追い詰めていく。そして、全国民が固唾を呑んで見守るなか、その時が訪れた。1964年10月23日20時55分、金メダルポイント―
その勝利によって、日本全土が歓喜の渦に巻き込まれた。その偉業は、戦争の影を引きずる日本社会に再び自信と誇りをもたらしたばかりでなく、その後、空前のバレーブームを巻き起こし、『アタックNo.1』や『サインはV!』をはじめとする「スポ根」ジャンルの興隆へと繋がった。
そんな彼女たちも今や80代に差し掛かっている。「魔女」、「スパルタ」、「鬼の大松」…仰々しい言葉とともに語られてきた彼女たちが、自らの口で、その思い出を語り始める。今なお、若々しく人生を謳歌する“魔女たち”の姿を撮影したのは『誰も知らない』(04)などで知られる名カメラマン・山崎裕。監督は『オリンピア52についての新しい視点』(13)や『完璧さの帝国』(18)といったフッテージ・ドキュメンタリーで高い評価を得てきたフランスの奇才ジュリアン・ファロ。市川崑の『東京オリンピック』(65)からカンヌ映画祭グランプリ作品『挑戦』(63)、さらにはアニメ『アタックNo.1』(69-71)や戦後日本の風景までをふんだんに織り交ぜ、単なるノスタルジーに収まらない新たな「東洋の魔女」の姿を浮き彫りにしていく。何故あれほどまでに日本は彼女たちに熱狂したのか?その秘密が今、解き明かされる。
1954年、大阪に本社を構える大日本紡績株式会社は、各地の工場にあった女子バレーボール部を統合し、貝塚工場・女子バレーボール部を設立した。これがのちに「東洋の魔女」と恐れられた伝説のバレーボールチームの始まりである。監督に就任したのは大松博文。彼は戦時中、第31師団に所属し「インパール作戦」にも従軍した経験を持ち、周りからは「鬼の大松」と恐れられた。彼の徹底したスパルタ式トレーニングによって、チームは設立からわずか数年で日本国内の四大タイトルを独占するまでに成長する。1959年11月から始まった国内連勝記録が、その後8年に渡って続いたことからも分かるように、当時、ニチボー貝塚は国内で圧倒的な強さを誇っていた。
その後、ニチボー貝塚は世界を見据え、日本で主流だった9人制バレーから世界標準の6人制バレーへと転向する。しかし、そこで大きな壁が立ちはだかることになった。6人制への転向は、すなわち、少ない人数でポジションをカバーしなければならないことを意味していた。国内で最強を誇っていたニチボー貝塚も、1960年の世界選手権決勝でソ連代表に惜しくも敗れることになる。しかし、この挫折は一つの転機だった。このことが彼女たちに「秘密兵器」を与える一つのきっかけとなった。海外標準の6人制に対応し、かつ体格で劣る日本が勝つために生み出されたのが、「回転レシーブ」だった。ダルマや起き上がり小法師から着想を得たその戦法によって、彼女たちは世界に対抗しうる圧倒的な守備力を手に入れることになり、ここから快進撃が始まった。その後、1961年のヨーロッパ遠征では24戦全勝を飾り、翌62年の世界選手権ではソ連を破り、悲願の初優勝を果たす。
世界選手権後、彼女たちは一時引退を表明するが、2年後に控えた東京オリンピックでバレーボールが正式競技に採用され、彼女たちに期待を寄せる世間の声が強まったことで、現役続行を決断した。そして、その決断が1964年東京オリンピックの、あの世紀の瞬間に繋がることになる。奇しくも、この決勝戦の同日、柔道男子無差別級の決勝戦が行われていた。日本の伝統を一身に背負った神永昭夫が、圧倒的な体格を武器とするオランダのヘーシンクに敗れる姿を見て、日本武道館は静けさに包まれたと言われている。そうした筋書きもあって、東洋の魔女たちの勝利は単なるスポーツ以上の、戦後日本の宿願ともいうべき思いを果たした偉業だったのである。
1978年生まれ。パリ在住。現在、フランス国立スポーツ体育研究所(INSEP)の映像管理部門で働く。INSEPには膨大な量の16ミリフィルムのアーカイブがある。個性的で超人的なパワーを持つアスリートたちに焦点を当て、スポーツ、映画、芸術の架け橋となる映像作品を制作してきた。
初の長編作品『オリンピア52についての新しい視点』Regard neuf sur Olympia 52 (2013)は、1952年のヘルシンキ・オリンピックの記録映像であり、クリス・マルケルの(幻の)初監督作品としても知られる『オリンピア52』を、マルケル本人の了承を得て再構築したドキュメンタリー映画である。日本では2013年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された。
長編2作目の『完璧さの帝国』L'Empire de la perfection (2018)は、アメリカの伝説的なテニス選手ジョン・マッケンローを追ったドキュメンタリーであり、ナレーションをマチュー・アマルリックが務めた。この作品はカイエ・デュ・シネマ誌など、各紙で批評家から絶賛を受け、日本でも2020年にアンスティチュ・フランセ東京で上映されている。本作『東洋の魔女』が長編3作目となる。
地域 | 劇場 | 電話番号 | 公開日 |
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福岡 | KBCシネマ | 092-751-4268 | 2022年7月19日(火) |
岩手 | 盛岡ルミエール | 019-625-7117 | 近日公開 |
東京 | ユーロスペース | 03-3461-0211 | 上映終了 |
北海道(札幌) | サツゲキ | 011-221-3802 | 上映終了 |
北海道(苫小牧) | シネマ・トーラス | 0144-37-8182 | 上映終了 |
青森 | シネマディクト | 017-722-2068 | 上映終了 |
宮城 | チネ・ラヴィータ | 022-299-5555 | 上映終了 |
神奈川 | 横浜シネマ・ジャック&ベティ | 045-243-9800 | 上映終了 |
神奈川 | あつぎのえいがかんkiki | 046-240-0600 | 上映終了 |
群馬 | シネマテークたかさき | 027-325-1744 | 上映終了 |
愛知 | 名古屋シネマテーク | 052-733-3959 | 上映終了 |
大阪 | テアトル梅田 | 06-6359-1080 | 上映終了 |
大阪 | シネ・ヌーヴォ | 06-6582-1416 | 上映終了 |
大阪 | ユナイテッド・シネマ岸和田 | 0570-783-923 | 上映終了 |
京都 | 京都シネマ | 075-353-4723 | 上映終了 |
兵庫 | 元町映画館 | 078-366-2636 | 上映終了 |
兵庫 | 豊岡劇場 | 0796-34-6256 | 上映終了 |
兵庫 | 塚口サンサン劇場 | 06-6429-3581 | 上映終了 |
岡山 | シネマ・クレール | 086-231-0019 | 上映終了 |
広島 | 横川シネマ | 082-231-1001 | 上映終了 |
愛媛 | シネマルナティック | 089-933-9240 | 上映終了 |
大分 | シネマ5 | 097-536-4512 | 上映終了 |
大分 | 日田シネマテーク・リベルテ | 0973-24-7534 | 上映終了 |
熊本 | 熊本ピカデリー | 050-6861-7645 | 上映終了 |
宮崎 | 宮崎キネマ館 | 0985-28-1162 | 上映終了 |
鹿児島 | ガーデンズシネマ | 099-222-8746 | 上映終了 |
沖縄 | 桜坂劇場 | 098-860-9555 | 上映終了 |
REVIEW & COMMENT
レビュー & コメント
REVIEW
アニメのような活躍を描いた実験的ドキュメンタリー。
カラフルに現代に蘇る。
COMMENT
(元バレーボール日本代表)
(岡田秀則)
この映画では、当時の感動的な試合映像もそうですが、現在の皆さんの関係性の素晴らしさも知る事ができて改めてバレーボールと言うスポーツが好きになりました!
(元バレーボール日本代表)
(編集者)