大松博文
鬼の大松

大松博文

(1921-1978)

香川県出身。関西学院高等商業学校を経て、日紡に入社。 1941年に召集され、1944年には「インパール作戦」に従軍。 1954年、ニチボー貝塚の女子バレー部の監督に就任。 「鬼の大松」と呼ばれるほどのスパルタ式指導によって、 わずか数年でニチボー貝塚を強豪チームにのし上げた。 東京五輪後、日紡を退社。 1968年、自由民主党公認で参議院選挙に立候補し、当選。 1974年に落選した後、バレーボール界に戻り、 イトーヨーカドーのバレーボール部の顧問に就任した。 1978年に急逝。2000年にバレーボール殿堂入りを果たした。